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【私と中国】中日友好の歴史を見守って来た創価大学の高橋強教授

人民網日本語版 人民网日文版 2024-01-11

創価大学は日本で最初に新中国からの国費留学生を受け入れた大学となる。創価大学を卒業し、同大学国際部の副部長などを歴任し、現在は、同大学において中日文化交流史や中日文化比較の研究に従事している高橋強教授は、創価大学と中国友好交流の歴史を見つめ続け、現在も中日友好の後継者を育成し続けている。






新中国の国費留学生受け入れの先駆けとなった創価大学

中国に興味を持ったきっかけについて、高橋教授は、「小学校の時にテレビを見ていたら、シルクロードや敦煌を扱った番組をやっていた。法隆寺の『獅子狩文錦』のデザインがどのように中央アジアを通って唐の長安まで行き、日本まで伝わったかを説明する内容で、今でも強烈に覚えている。また大学2年生だった1974年に、創価大学の創立者の池田大作先生が初めて中国に訪問したのを聞いて、ますます中国に行きたいという気持ちが強くなった」と振り返る。

人民網の取材に応じる高橋強教授。

池田氏は1974年に中国を訪問した際、周恩来総理と会見。そして、帰国後、翌年から新中国の留学生を受け入れることを決めた。当時、中日両国の国交正常化から間もなかったため、日本の多くの大学は、中国からの留学生を受け入れることに、まだ迷いがあった。では、創価大学はなぜ率先して受け入れることにしたのだろうか?そのことについて、高橋教授は、「池田先生は生前、そのエピソードについてしばしば語っていた。中国に訪問したのは真冬の12月で、周総理は手術が終わったばかりで、療養中だった。周総理は池田先生より36歳年上で、体調が完全に回復していない状況下で、会見したため、池田先生は深く感動した」と振り返ったほか、「周総理はかつて留学しようと日本に来たものの、色々なことが重なり、日本留学は実現しなかった。池田先生はそれを知り、周総理の代わりとして6人の国費留学生に、日本留学を実現してもらいたいと思い、保証人になった」としている。それら留学生はその後、中日関係発展を促進するうえで中心的な役割を担うようになった。程永華元駐日大使もその一人だ。

日本でも広く支持されている中国の外交方針「以民促官」

高橋教授は、「創価大学の大学院時代に、香港中文大学に派遣留学し、その時から、中国の言語や社会、文化、歴史などにますますのめり込むようになった」という。卒業後、創価大学アジア研究所の助手として香港研究をするようになった。その後、中国からの留学生が増えてきたため、1979年、創価大学は初めて、北京大学と学術相互交換協定を締結した。その後、中国の多くの大学が次々と協定を締結するようになり、さらに多くの教師が創価大学に留学するようになった。1980年代に入って、中国の大学との教育や文化における交流が増え、高橋教授は創価大学国際部の副部長を兼任し、同大学に留学する中国人にサポートを提供するようになった。

高橋教授は、「創価大学で造詣を深めた一部の教師は帰国後、所属する大学で相次いで池田大作研究センターや研究会を立ち上げた。周総理の母校である南開大学も周恩来池田大作研究会を立ち上げたことは、強く印象に残っている。国際部の副部長として、研究会を立ち上げるための資料を収集し、提供した。その過程で、池田先生が、なぜ日中国交正常化を働きかけたのか、また周総理の外交方針に対する理解を一層深めた」と振り返る。

高橋強教授が執筆した本。

そして、中日国交正常化やその後の中日友好関係の発展を振り返り、「周総理の外交思想というと、『以民促官』という『民をもって官を促す』という政策がすぐ浮かび、それは日本の人々からも支持されていると思う」と語った。

その理由については、「昨年の国交正常化50周年に際し、日本と中国で『周恩来と日中友好』写真展が開かれた。創価大学は後援団体として参加した。日本で開催された時に、創価大学でアンケートを実施したところ、『将来の日中友好について』という項目があり、それを分析すると、一番多かったキーワードが『民間友好』で、二番目に多かったのが『周恩来総理』だった」と説明。「『以民促官』という民間外交の基本方針が、過去や現在、そして未来に至るまで常に高く評価されるだろうことを反映している」との見方を示した。

時代を先取りして中日青年が友情を築ける取り組みを

教育者として高橋教授は「同じ人間だという共感をたくさん持ってもらうこと、相互に信頼と友情を築いてもらうことを心掛け、そこにウェイトを置きながら授業を進めている。日中関係は良い時も悪い時もある。時代を先取りするような取り組みをして、両国関係の前進と発展を促進するのが教育者の使命」との見方を示す。

そして、「日中両国には、相手国に興味を持ち、相手国の言語を一生懸命勉強する学生と青年がたくさんおり、彼らを大切にしなければならない。例えば、両国は毎年、数千人の青年が相手国を訪問・交流するよう企画している。彼らが友情を築き、見聞きしたことを通して、周りの人々にも積極的に交流するよう働きかけている。こうしたことを通して、日中両国の民間の雰囲気は必ず改善するだろう」と指摘する。

また中日両国は変わることのない隣国で、数千年の歴史を振り返ると、両国は長期にわたり良い関係を築き、文化の成果を共有してきた。高橋教授は、贈る言葉として、「為人点火明在我前」(人のために灯りをともせば 我が前あきらかなり)を選び、その言葉が描写しているように行動し、「中日両国関係が『ウィンウィン』の関係になることを願っている」と強調した。



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